神戸 女性専用 えりこ鍼灸治療室
父の遺志をついで
2016年08月20日
∞∞ 父の遺志をついで ∞∞
父が亡くなって16年目の夏。
17回忌の法要を間近に、亡くなる前のことを思い出した。
2000年8月16日の明け方、父は用を足しベッドに戻ろうとして転倒した。
肺がんが骨転移しコバルト照射を受けて脆くなった大腿骨は、ベッドの角で軽く打つだけで簡単に骨折した。
物音で目覚めた私は、父の指示を受けながら大腿部に副木をあて救急車を待った。
筋肉が収縮しないよう3日間も足を牽引された後、スチール製の棒を入れる手術は成功したが、手術中に出来た血栓が肺につまり肺塞栓症を起こしたのは手術の夜だった。
母に呼び戻され病室に入ると、すでに酸素呼吸器をつけた父がベッドに横たわっていた。
内科医だった父は自身の予後を悟り「自分は8月いっぱいだ」と私たちが着く前に、母に話したらしい。
ベッドサイドで見守る私に父は「お前が鍼灸をやるか?」と言った。
突然の言葉に「私が鍼灸師??」とだけしか返せなかったが
なるよ、と約束していたら良かったと後悔が残る。
薬だけでは治らない慢性疾患の患者さんを大勢かかえ、生真面目な父は悩み、漢方薬を取り入れた。そして鍼灸も取り入れたかったことを亡くなったあとに母から聞いた。
手術から11日目、容態が悪化した父をみて察した母は、姉と私に喪服の用意をさせ美容院に行かせた。
この日の夕方、3人の準備が整ったことに父は安堵したように急変し、
「8月いっぱい」の言葉の通り、8月31日、82年間の生涯を閉じた。
父は自分の最期を自分で選んだと直感した。
最後まで生真面目な父だった。
そして3年後
「お前が鍼灸をやるか?」の言葉に背中を押され
私は48歳で鍼灸専門学校に入学した。
子供の頃から病弱だった私は鍼灸治療で救われ
健康を回復したから出来たことだった。
鍼灸師になった私を、魂になった父が見守り、助けてくれていることをいまも感じることが出来る。
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